令和タクシー日記 続き

5日目

安全運転、事故なく、それだけを考え、出かけた。午前中は、葛飾区近郊で次々と無線アプリに呼び出される。短距離ばかりだが、それでも午前中だけで1万円を超えた。14時までは、休みを取らないつもりで、流していると、14時前に呼び止められる。それからは、リレーのように客が乗り込む。葛飾区周辺から抜け出せない。都心中心部に向かおうとすると、また、葛飾区周辺に戻される。立ち食い蕎麦屋で、昼飯を食べたのは、15時を大きくまわっていた。立ち食い蕎麦屋で、本当は、げそ天蕎麦が食べたかったが、見当たらない。深夜近くに夕飯を食べる予定なので、軽くインゲン天蕎麦を食べた。そういえば、尿意があった。食べ終わって、トイレに行こうとすると、故障中の張り紙がドアに貼ってある。蕎麦屋の親父は、どんな人生を送ってきたのだろうか?70歳少し前だと思われる風体、カウンター7席だけの店舗、賃料はいくらくらいか、10万円以下だと思われる。国民年金をもらっているとすれば、粗利70%と想定すると、1日あたり、2万円程度売り上げれば、なんとか利益が出る。

客単価、5百円として、40人、まあ、それ前後だろう。もしかしたら、1万円でいけるかもしれない。どう考えても20人は客が来る。24日営業として、売り上げは24万円、年金が5万円、粗利が想定どうりだとすると、月収入は、30万円前後、賃料を払っても手元に20万円程度残る。初老の生活費としては、問題ない。孫に小遣いをあげる程度の生活はできそうだ。

都心部に向かおうとすると、少しづつだが、都心部に近づいていく。銀座を避けて、新橋方面に向かうとまた、次々、呼び止められる。そのまま、営業を続け、神宮前まで、引っ張られ、その時点で売り上げは3万円程度、これでノルマらしきものの5万円は、到達する。まだ、勤務時間は、10時間以上ある。

ジャパンタクシーの運転にはだいぶ慣れてきた。特殊な車で、慣れるのにそれなりに時間がかかる。どこか、適当な場所で、休憩しようと思い、人形町の浜町公園に向かった。エンジンを止めずにゆっくりしていると、いきなり、クラクションを鳴らされる。客を乗せたタクシーが、後ろに迫っていた。私も駐車する場所は選んでいる。2トン車程度は十分、通れる一方通行の道に駐車していた。だが、めんどくさいので発車した。すると5メートルも走らずに、若いひと、二人組に呼び止められる。こうなると後ろのタクシーのクラクションくらい気にしていられない。どうやら忘年会が終わった後のようだ。茅場町まで乗せて、その周辺で、行ったりきたり、そこで多分、シナリオライターでは、ないか、と思われる若いデブの女性に呼び止められる。行き先を聞くと、指示するから溜池方面にいって、246に入ってくれ、という。その通りいって、ときどき、このままでいいか、と声をかけると生返事、渋谷までいってしまい、そこで、声をかけると目的地を通り過ぎていた。青山まで戻り、4000弱の売り上げ、寝ていたようだ。

そこから、流し、できれば都心方面の客を拾いたかった。そう、うまくはいかない。そのまま、銀座、八重洲を通り過ぎて、ウロウロしていると、呼び止められる。そこからは短距離の連続、兜町やら、人形町やら、茅場町やらを振り回された。

上野に無理やり、向かい、先輩に教えられたように左回りで、御徒町と上野を周回する。すると、中国人カップルに呼び止められる。女性は泥酔、比較的冷静な男性は、辟易している様子だ。蔵前あたりまで送り、ドアを開けるとお釣りも取らずに逃げるように去っていった。その理由は、酔っ払いの女性が、自動車の内側のゴム補助部品をひっぱ絵がしていたのだ。

次の客を乗せるまで気づかなかった。

さらに錦糸町に客を乗せ、もう3時を過ぎている。帰ろうとして、最後に深夜営業をしているラーメン屋さんを発見、期間限定の麻辣味噌ラーメン(辛いだけで味はわからない)を食し、帰ろうとすると、すぐに呼び止められる。この辺りで、飲み屋をやっているオーナーのようだ。最後の客は1400円、そのまま、ガスを補給して、帰庫した。売り上げは67000円、予想以上に伸びていた。

 

雑談

タクシーの運転手の評価は分かれる。人生の底辺、確かに客にへつらうことが、原則、媚びは、しないが、客の要求に逆らうことはできない。その分、会社の運転手に対する態度は寛容だ。私が自損事故を起こしたときもそのことは、ほぼ不問、むしろ、帰庫時間が、40分、遅れたことの方を責められた。タクシー会社は、労基に目をつけられている。ただでさえ、過酷な20時間労働、休憩も取れるか、取れないか、分からない。給与は保証されていない。稼いだ分の60%が基本だ。

学歴も年齢も不問、身上調査もどうやらないようだ。あるとすれば、健康診断だけ、それでも私が勤務する会社の平均年齢は60代後半のようだ。中には80歳代のベテラン運転手も活躍している。それほど、人材が足りていない。

私は、身のこなし、その他の要因によって、仲間とは認められていない気がする。それはそうだ。これまでのキャリアは、新聞記者、雑誌編集者から始まって中小企業診断士、診断士に教える先生、大学講師、タクシー運転手は、利用することはあっても、自分でやることになるとは思っても見なかった。

ただ、本音だが、64歳という年齢から、キャリアとは、まったく関係ない仕事についてみたかった。それがタクシーしかなかった。コンサルタントを辞める気はなかったので、比較的時間が自由になり、それなりにお金になる仕事は、これしかなさそうだった。

今までの自分を振り捨てることも大事だと本能的に感じていた。私は知的でファッショナブルで、乱暴な生き様を自慢に思っていた。やりたいことは、ほとんどやってきた。それなりに苦労はあったが、乗り越えてきた。タクシーはファッショナブルでもなければ、知的でもない。むしろ、すべてが逆の世界である。

先輩の運転手に話を聞くと皆、楽しい、という。過酷な長時間労働も慣れて仕舞えば、苦痛ではなさそうだ。客との関係性は、長くて1時間、短ければ数分だ。さらに会社との関係、上司との関係も皆無だ。一度、あてがわれた自動車で、出庫してしまえば、どこへ行こうが勝手、売り上げを上げようが上げまいが、自分の取り分に跳ね返ってくるだけで、会社(組織)は、何も言いようがない。

ある部分、アナーキスティックな職業だ。交通違反さえしなければ、官権から咎められることはない。私の印象だと交通警官とタクシー運転手は、どこか、仲間意識のようなものを持っている気がする。

水商売の女性も同様、客引の外国人女性から声をかけられても、タクシーを指差し、首を振ると、微笑んで、違う人に声かける。

破滅的な運転手もいるようだ。ギャンブル、女性関係、結果、家庭崩壊、それでもタクシーに乗っていれば、寮付きの就職も簡単にできる。住むとこが無くなっても、運転さえできれば、タクシー会社は、蜘蛛の糸を垂らしてくれる。