食べ物のこと

食べることに執着するタイプではない。酒を飲んでいるときは、食欲を酒欲が凌駕しており、酒欲とマッチする食べ物(のんべのおつまみ)を好んで食べていた。「本当の酒飲みはひとつまみの塩で、ます酒を飲む」という古くからの慣例を素敵だと思っていた。

オイルサーディンをほんの少しつまみ、モルトウィスキーを飲んだら、ご機嫌だった。酒をあまり飲まなくなっても、相変わらず、グルメではなく、食欲は戻ったが、白いご飯と香の物、汁物があれば、満足だ。よく、節酒すると甘いものに惹かれる、という話も聞くが、私の場合、せいぜいバナナを良く食べるようになったことぐらいで、相変わらずケーキなどを貪る趣味はない。

 

神田の駅とは反対側に「神田そば」という立ち食い蕎麦屋があった。この店は蕎麦屋として洒落ている。カウンター席だけで、6人も入ると一杯だ。お昼どきは、少しだが行列ができる。もう、30年以上、その店だけで商売を続けているようだ。朝は午前6時くらいからやっている。たぶん、築地の人々を対象にしているためだろう。午後は6時くらいに終わってしまう。メガネのお兄さんは、30年以上、変わらずにそのときどきのアシスタントと二人で、狭いカウンターの中で、そばを作り続けている。天ぷらそばが280円、昨今のチェーン立ち食いそばより、安い。そこでそばを食べると、お兄さんは、カウンター越しに、お客を気にして、そばつゆが少なくなるとすかさず、追加してくれる。「汁入れましょうね」といって、さりげなく汁が入ったズンドーから、汁を気持ちよく入れてくれる。

お兄さんは、宗教家のような無駄のない動きで狭いカウンターの中を動き回り、自然な愛想を絶やさない。そばを中心とした静謐な空間に私は惹かれる。今はすでに無くなってしまった。残念極まりない。

 

ある日、目黒の立ち食いそば屋のこと、ごく普通のサラリーマンのおじさんが、そばを頼まず、おにぎりと卵を注文した。生卵の器に、店の人はそばのつゆを入れる。そこにほんの少し七味を入れ、おにぎりを食べながら、そばつゆ入、生卵を食べる。かっこいい、しかし、私には、そのカスタムメニューを注文する勇気は、いまだ、ない。

 

ずいぶん前だが、大阪に出張に行った。夜、遅くまで飲んでいて、ホテルに帰った。小腹が空いている。立ち食いうどんでも、と思い、ホテルを出たが、中心街から少し外れたホテルの周りには(淀屋橋あたり)深夜、やっている食べ物屋はない。酒を出す店に入る気はなかった。困って、24時間営業の「吉野家」に入った。私は、牛丼並を頼み、小腹を満たしていた。すると、古ぼけた着衣のひげ、髪の毛が乱れた初老の男性が、入ってきた。注文は「しろとぎょく」、そんなメニューが吉野家にあるとは、知らなかった。さすが、大阪だ。店の人は、返事をして、素早く「しろとぎょく」を出した。白は白飯のこと、玉は卵のことだった。初老の男性は、卵に醤油を入れ、さらに白飯の上の食べ放題の生姜をかけ、もくもくと食べた。とても、おいしそうだ。このオーダーも、いまだ勇気がなくて頼んでいない。

 

白金のほうに、古いそば屋がある。この店は芸能人、御用達で、午後3時くらいに中野良子が、そばを酒菜に日本酒を傾けていたりする。何回か行ったが、不思議なメニューがある。焼き海苔800円だ。いったい、これはなんだろう。800円といえば、普通の店では、おかめそばくらいは食べられる。勇気を出して、注文した(しろとぎょくほど勇気はいらない)。すると古めかしく四角い箱が出てきた。こぶたを開けると、そこに紛れもない海苔が数枚入っている。香ばしい匂いがする。海苔の下の引き出し状の小箱を開けると、そこには「木炭」が入っていた。炭で炙りながら、海苔を食べるわけだ。海苔と日本酒は絶妙にマッチする。以来、そこの店では、私はいつも日本酒と海苔を頼み、その後、つゆが少し甘いそばをすする。

 

さらに、これも勇気がなくて、頼んだことはないが、古いそば屋には「ぬき」というカスタムオーダーがあるらしい。天ぷらそばの「そば抜き」だ。天ぷらそばの質素な具材(青菜とネギなど)にそばつゆが入り、揚げたての天ぷらが入っている。それを酒菜に飲むわけだ。私は、このエレガントなオーダーもしないじまい、となりそうだ。そのほかにも「小田原巻き」など、そば屋には、奥深いメニューがある。