テレビCM

家にいるとき、テレビをつけていることが多い。家人は、意味もなくテレビをつけていることをとても嫌うが、私は、何か、仕事をやっているか、どこかにいっているか、本を読んでいるか、など以外の家で、何もしていないという行為が苦手だ。家事は力仕事以外はできるかぎりやらない(だらけ亭主だ)。飲んでいるときは、それでも間が持てたが、飲まなくなってからは、なんとなく、見たくもないテレビをつけていることが多い。

私の仕事に広告関連は、無関係ではない(小売業のテレビCMの企画をむかし、やった)。

ただ、今は、そうした派手な仕事は、全くやっていない。むしろ、おっさんだからできないし、依頼もない。

なぜか、テレビをつけると、必ず、目に飛び込んでくるCMが三種類ある。

 

その一は、アルコール飲料のコマーシャルだ。焼酎から始まって、ビール、ウィスキー、その他、夕刻から深夜にかけて、数分に一回は、やっている。そこには、当然、アルコール依存症的人物は登場しない。むしろ、健康的な主婦、若手タレント、美しい女優、人気のあるお笑い芸人など、「好感」満点の人物が、いかにも美味しそうに、アルコール飲料を口にする。いまは、ほとんどなくなったタバコのコマーシャルは「健康のため吸いすぎに注意」文言が、CMの最後に流れた。アルコールは、そんなことはない。驚いたことに昼からビールを飲むことを啓蒙するようなCMすらある。そんなことすると依存は近い。

これでは、アルコール依存者が、多発するのも無理はない。酒屋を深夜、たたき起こさなくても(昔は深夜、アルコールを購入するのが難しかったらしく、昔の詩の表現にはそうした行為が出てくる)コンビニではビールから紹興酒、アルコール依存飲料であるラムやジン、紙パックの鬼ごろしまで、普通に売っている。500円もあれば、十分酔っぱらえる。

米国では、酒のCMは禁止されている。とくに実際に飲んでいることを見せるCMを見ることはない。たぶん、ヨーロッパも西側は、それに近いはずだ。

 

その二は、金貸しのCMだ。いかに簡単にお金が借りられるか、楽しい生活を感じさせる映像で、気軽に簡単にお金が借りられるCMが、大手都市銀行からサラ金まで、時間帯が遅くなるほど多くなる。金利は銀行系のカードで4%から14%まで、サラ金では利息制限法に触れないギリギリの線まで、一応、CMで伝えられる。最後に「計画的な借入」を進める画面が一瞬映るが、中身を読むことは不可能に近いくらい一瞬だ。これも表現は巧みで、なかには「生活を余裕を持って送るために」などという馬鹿げたコピーが流れる場合もある。生活に余裕がある人は、お金を借りない。私は、余裕がないが、金利を考えると、怖くて借りられない。下手をすると、定期預金の預入金利の100倍も借りるときは払うのだ。それを借りて余裕がある生活なんぞ、送れるわけがない。

 

その三は、整形外科とボディシェープの広告だ。とくにダイエット系のCMは呆れる。適度な運動と食事制限で、ダイエットは可能だ。その内容には全く触れずに、短期間でダイエットを実現したタレントの使用前と使用後の写真を並べる。「結果にコミットする」という謳い文句だ。内容は、断言するが、食事制限と運動でしかない。整形外科は、さらに気持ち悪い。デブの院長が飛行機に乗り、アラブのリゾートを訪れる。なぜ、アラブなのか、理解不能だ。院長の顔は、私は整形が必要だと思う。どうみても顔に品がない。友達にはなりたくない。昔、私が不良だった頃、あの手の顔は、アッシーの顔だった。サイバラリエコは、友達らしく、その漫画の中で、彼をアッシー扱いしている。

 

その一とその二に関しては、私は、とても痛い目に会っている。だから、CMの恐怖の裏の顔を推測することができる。その三は、経験はないが、事故等でやむを得ない場合を除いて、極めてリスクが高いのは、確実だ。人体に異物を入れることは、医学的な必要性を除いては、経年劣化を覚悟することだ。医学的必要(例えば、ペースメーカーや歯科の差し歯)も経年劣化は、確実で、異物の寿命は長くて10年だそうだ(歯科医の友人に聞いた)。

 

私は、なんらかの特定な思想に与する立場ではないが、明らかに過剰に氾濫する社会悪を伴ったCMは、排除するべき、だと考える。

 

酒を飲まなくても、お金を借りなくても、大金を払って見かけを良くしなくても素敵な生活はできる。ほとんどのこの手のCMがダイレクトレスポンスマーケティングという手法に近似している。(私はマーケティングの専門家として、限りなく詐欺に近い手法だと思っている)判断力が低く、経験も浅い若者が、物理的にも精神的にも被害に遭わないことを願う。お金がなくても、ブサイクでも、酒を飲まなくても、すぐそこに幸福は、横たわっているのだ。