雑談

タクシーの運転手の評価は分かれる。人生の底辺、確かに客にへつらうことが、原則、媚びは、しないが、客の要求に逆らうことはできない。その分、会社の運転手に対する態度は寛容だ。私が自損事故を起こしたときもそのことは、ほぼ不問、むしろ、帰庫時間が、40分、遅れたことの方を責められた。タクシー会社は、労基に目をつけられている。ただでさえ、過酷な20時間労働、休憩も取れるか、取れないか、分からない。給与は保証されていない。稼いだ分の60%が基本だ。

学歴も年齢も不問、身上調査もどうやらないようだ。あるとすれば、健康診断だけ、それでも私が勤務する会社の平均年齢は60代後半のようだ。中には80歳代のベテラン運転手も活躍している。それほど、人材が足りていない。

私は、身のこなし、その他の要因によって、仲間とは認められていない気がする。それはそうだ。これまでのキャリアは、新聞記者、雑誌編集者から始まって中小企業診断士、診断士に教える先生、大学講師、タクシー運転手は、利用することはあっても、自分でやることになるとは思っても見なかった。

ただ、本音だが、64歳という年齢から、キャリアとは、まったく関係ない仕事についてみたかった。それがタクシーしかなかった。コンサルタントを辞める気はなかったので、比較的時間が自由になり、それなりにお金になる仕事は、これしかなさそうだった。

今までの自分を振り捨てることも大事だと本能的に感じていた。私は知的でファッショナブルで、乱暴な生き様を自慢に思っていた。やりたいことは、ほとんどやってきた。それなりに苦労はあったが、乗り越えてきた。タクシーはファッショナブルでもなければ、知的でもない。むしろ、すべてが逆の世界である。

先輩の運転手に話を聞くと皆、楽しい、という。過酷な長時間労働も慣れて仕舞えば、苦痛ではなさそうだ。客との関係性は、長くて1時間、短ければ数分だ。さらに会社との関係、上司との関係も皆無だ。一度、あてがわれた自動車で、出庫してしまえば、どこへ行こうが勝手、売り上げを上げようが上げまいが、自分の取り分に跳ね返ってくるだけで、会社(組織)は、何も言いようがない。

ある部分、アナーキスティックな職業だ。交通違反さえしなければ、官権から咎められることはない。私の印象だと交通警官とタクシー運転手は、どこか、仲間意識のようなものを持っている気がする。

水商売の女性も同様、客引の外国人女性から声をかけられても、タクシーを指差し、首を振ると、微笑んで、違う人に声かける。

破滅的な運転手もいるようだ。ギャンブル、女性関係、結果、家庭崩壊、それでもタクシーに乗っていれば、寮付きの就職も簡単にできる。住むとこが無くなっても、運転さえできれば、タクシー会社は、蜘蛛の糸を垂らしてくれる。