2023年10月10日、普通自動車二種免許を取得した。最初は、簡単に考えていた。私は、中小企業診断士の先生の先生で、さらに頭と勘の良さは、周りの人間がほぼ認めている。

まず、苦労したのが、東京23区で営業するために必須の地理試験なるものだった。地図と幹線道路、主要施設の場所と名称、さらには、近接道路まで暗記しなければならない。私は、20年間以上ナビ任せで、運転していた。道路は、何となく覚えていたが、道路名、施設名、とくに用のない病院など、まったく、地理感がない。ホテルも同様、首都圏近郊に住んでいると、ワシントンホテルと、リーガロイヤルホテルの区別なんかつかない。リッツカールトンはニューヨークで泊まったが、日本のどこにあるか、まったくわからない。

 

ワニを殺す夢は、
あなたが緊張やストレスにうまく対処して、解消できるサイン。



現状の好転をあらわす吉夢と言えるでしょう。



とても苦労した。所属するタクシー会社は、ほとんどフォローしてくれない。受かって当たり前、という態度だ。あまりに落ちるので、舐めるのをやめざるをえなかった。試験の分析を真面目にやると、傾向が判明した。この試験は、受からせるための試験なのだ。適当では、受からない。過去問題を分析してみると受からせる構造が明らかになった。



これが、他の試験との違いだ。大手タクシー会社は、この構造を解説している。中小の会社は、わかっていても教えない。多分、離職率の高いタクシー運転手を事前に選別するための構造的仕組みだろう。真面目にやったら受からない。構造を理解して、それに対応すれば、難なく受かる。



二種免許を取得するための筆記で苦労する人も多いようだが、地理試験合格後、タクシー会社の負担で教習所に通い、実技は、クリア、筆記も本気出した2度目で100点合格、これは、なんということもない。その後、当該社が加盟している無線グループの研修となる。これも楽といえばらく、飽きてしまうといえば、飽きてしまう。社会的評価が、極めて低い職業だけに妙に身だしなみや、振る舞いの教育に力を入れている。これが5日間続く。コンサル仕事をとりあえずセーブして、ほぼ、1ヶ月半、集中した。

実技で苦労したのは、ワイパーと方向指示器、さらに車幅感覚であった。私は、20数年前から、ヨーロッパ車しか乗っていない。ボルボ、BM、オペル、今はボルボとワーゲンだ。ワイパーの位置と方向指示器の位置、さらには、ヘッドライトの仕様がまったく違う。方向指示器を出そうとするとワイパーが動いていてしまう。車幅感覚も違う。ボルボもワーゲンも全長の割に車幅が広い。マツダアテンザは、それなりに良い車だろうが、私の感覚にはまったく合わない。ヨーロッパ車とは、自動車に対するコンセプトが違っている。



身の回りに色々なことが起こり、困り事の連続だった。母の病気、仕事の致命的なミス、執行役員肩書の所属コンサルファームとのトラブル、さらには、未入金、根本から自分を立て直す機会を探しているときに出会ったのが、タクシーだった。勤務時間がランダムで比較的自由がきく。大学時代にドカタと販売業をやって以来の肉体労働だ。



教習所では、多分、私が最年長、64歳になって、人に教えられる奇妙な気分、それも講師は、運転技術は優れているのだろうが、知的レベルは高卒以下だ。たまたま、運転技術の試験で、気の良い教官に当たり、ギリギリで合格した。普通免許試験には無い鋭角(v字カーブ)で縁石を踏んでしまった。運転技術には、それなりに自信があったが、慣れを修正するのに苦労した。さらに、。左に曲がろうとして、ワイパーが、動いてしまう。20年以上の習慣は、そう簡単に修正できない。ライトも同様、ヨーロッパ車は、ダッシュボードにライトの指定が付いている。日本車とは、構造が違う。長年、染みついた癖は、修正するのが難しい。



タクシー業界の高い壁

なんとか、それでも地理試験合格、最後は所属する無線グループの研修だ。これは試験があるわけでは無いので、皆、比較的リラックスして受講している。私は喫煙者なので、休み時間は、喫煙室に行く。これも不思議だ。私が講師や教官をやってきた大学や大学院、専門学校は、すべて九十分授業だった。なんと、タクシー運転手の授業は、すべて五十分である。あっという間に終わってしまう。小学生並みの集中力が設定されている。



言葉を交わすようになった数人は、どう考えても最下層の人々だった。ある人は、愛人と逃避行して、愛人に見捨てられ、行くとこがなくなり、タクシー会社の寮から、通っている。若いにいちゃんはデブで、たぶん中卒、元ヤンキーだ。隣の席に座っていたのは、明らかに破産企業からリストラされた人物。真面目だが、理解力は極めて低い。

ともかく、体重コントロールができていない人が多い。どうすれば、あんな体型になるのだろう。彼らはお金を稼ぐことしか考えていない。元タクシー運転手経験者も混じっている。彼がいうには、真面目にやれば、月額70から100万円が、可能だという。私は、そんなにいらない。



精神的な苦痛と和らぎ

そうした人たちと一緒にいることに精神的な苦痛があった。私が、関係してきた人々とは、明らかに異なっている。話が合うとは思えない。できる限り、言葉少なく、目立たないように、これはそれなりに苦痛だ。一方、地のまま、気取りのなさは心地よかった。私がいた世界は、微妙なマウンティングの取り合い、どうしても私は、それに馴染めなかった。結果、私は能力はあるが、脇が甘い、という評価、自分勝手に好きなことに集中するという評価、さまざまなマイナス評価に晒され、それがストレスの蓄積になっていた。私は大学を出てから、しばらくドカタをやり、その後、新聞社に就職、雑誌記者を経て、それなりのコンサル会社にアシスタントとして入社した。すぐに中小企業診断士に合格して、記者時代に旧知だった企画会社にそれなりの条件で引っ張られた。その後、独立、信じられないくらいの売り上げと利益を上げたが、突然の税務調査、3階建て、庭付き、さらに駐車場3台分がある自宅を買った直後だった。膨大な税金の請求がくる。さらに当時、得意先だった上場企業に反面調査が入る。身も心も打ちひしがれ、しばらく、アル中状態、立ち直るまでに4年かかった。



タクシーを目指す人の苦労とは若干違うが、苦労はしている。それでもコンサルとしての仕事には自信があり、原稿を書いたり、教えたり、さらに会社を作ったり、それなりにやってきた。息子は一流企業のサラリーマン、娘婿も同様、孫が3人いる。