死んだミュージシャン

最近、電車に乗ることが極端に少なくなっている。都内の仕事でも、多少のことなら、自動車で行ってしまう。それだけ暇なのだが、時間に余裕をもっていけば、埼玉県の南部、足立区との境くらいからなら、自動車のほうが便利だったりする。
すると、本を読む時間が減る。さすがに自動車のなかでは、本を読むことはできない。翻って、音楽を聴く時間が多くなる。持っているCDを聞き直すことになる。
なんと、死んでしまっている人のCDが多いことか。西岡恭三というミュージシャンがいる。その奥さんは「クロちゃん」だ。クロちゃんは、たくさんの詩を書いて、いろんなミュージシャンに提供していた。もう、何年も前になるが、クロちゃんが亡くなった時、さまざまなミュージシャンが集まってトリビュートアルバムを作った。2枚組のCDで、「クロちゃんを唄う」というsimpleなタイトルだ。何回も聞いているが、また、聞き直してもいいのだ。昔、良く行っていた新橋の串カツ屋さんは、テレサテンのアルバムしか、流さなかった。いついってもテレサテンだ。その気持ちが少しだけわかる。何回聞いてもいい曲はいいのだ。
クロちゃんを唄う、のなかで、私がとても気に入っている曲が、モンタヨシノリが歌うジャマイカのレゲイと西岡恭三(死んでしまった)が歌うパラダイスという島の歌だ。
花咲き乱れる島に住む、若者が、都会に憧れ、島を出る。愛する人と、母親をおいて、暗いドッグのなかで、汗と油にまみれる。そして、島に帰る。あの娘は、待っていてくれる。それだけの歌だ。
良くある話だが(木綿のハンカチーフもそんなイメージだ)西岡恭三の声と、そのころ、一流だったスタジオミュージシャンハモニカのアリさんがすごい)の演奏は、花咲き乱れる島と暗いドッグとの対比を見事に描き、何回聞いても心地よい気分になる。
私には、還る島がないが、なんだが、どこかに帰りたくなる。

渡さんの「日本に来た外国詩」というアルバムもすごい。なかでも、南アフリカの詩人ニカノールパラという人(今、どうなっているか、誰も分からない)の詩に渡さんが曲をつけている墓場の歌がすごい。「あの十字路の下には、かけあっていいな、教会が一つあるにちがいない」。こうした感性に対応できる歌手が日本にいたのだ。死んでしまったが。

少し年上の人が死ぬことが多い。もう少し、生きていてほしかった人たちだ。
「別れに揺れた真珠の首飾り、美し人を風が追いかける」加藤和彦も死んでしまった。

プカプカの人