柔らかい犀の角

柔らかい犀の角で、画家「熊谷守一」にさらに興味を持った。代表作の「猫」は知っていたが、それ以外の絵が、とても見たくなった。土曜日の午後、家人と一緒に池袋(要町)に向かった。首都高は思いのほか空いており、30分くらいで着いてしまった。

コインパークングも直ぐに見つかった。

 

住宅街の真ん中にコンクリート打ちっぱなしの80年代風建物が、唐突に出現する。エントランスには、自然な樹木が植えてあり、4月の陽光が、緑の葉っぱに降り注いている。側面の壁に守一の「蟻」が、彫り込まれている。

 

ゆるりとドアを開けると、80年代の吉祥寺や、自由が丘にあったような喫茶店(喫茶スペース)、そこで500円を払い、美術館の展示スペースに入った。

 

夢中になるには、時間がかからない。守一の油絵は、すごい。年代を追うごと(晩年に近づくほど)絵画は、シンプルになり、一番奥に展示されている太陽の絵は、単なる二重丸、それが、淡く光る夕暮れにしか、見えない。猫は、「猫の寝言」(高田渡)に出てくる「猫」

だ。ふっくらとして背中から、何やら不思議な寝言が聞こえてきそうだ。丸くのびやかなひまわり、初期の荒々しくも複雑な表現は、晩年になるほど、削ぎ落とされ、輪郭と色だけで、生命や自然の中身をあらわにする。

 

デュシャンは、タブローの限界を飛び越え、ガラスに向かった。守一は、タブローを突き詰め、過程のなかで、墨による漢字(蒼蝿)とひらがな(かみさま)に向かった。数十坪の庭から晩年の30年間は一歩も出ずに、蟻や猫や雨水を観察し、描き続けた。

 

「あるところのあるべきところのある姿」を生きて、死んでいった画家、もとの自宅に建てられたひっそりとした美術館には、あるべきものとしての「絵画」が適度な間合いと密度を持って展示されている。もう死んでしまった赤瀬川原平尾辻克彦)が、文庫本の後書きを書いている。

 

ずいぶん、貧乏もしたようだが、物質的ではない「自己実現」(あるがままの存在の価値とオーラ)をさりげなく残して行ってくれたとても愛すべき心に留め置くべき画家である。

 

なぜか、とつぜん、美術館にでかけた私は、あのオーラを必要としていたのであろう。

 

酒を飲まなくなって、飲んでいるときは、気付かなかった「あるもの」に気づくようになったとすれば、とても進化したということだ。心は、いまもあの絵の中にある。