困ったときのタクシー

困ってタクシーに乗る人は大切にする。すると貧しく見えても小銭のチップをくれたりする。一方、見栄や怠惰、あるいは、習慣でタクシーを呼びつけたり、乗り込んだりする人は、無礼なケースが多い。

私は、困っている人のためにこの仕事をやっている。
必要のない奴は、タクシーなんか呼ぶな、そうゆう輩に限って、小高い立地のマンションに住んでいたりする。エントランスの横に迎えに来い、という無線が入る。どこが、横か分からない。ウロウロしていると、ほんの数メートル、歩いてきて、ここまで来い、と言ったのに、なんでそこにいるの、とノタマワル。バカである。お前の上司、あるいは、お前のクライアントの上司は、私の知り合いである可能性もある。
 
一方、本当に困っている人は、とても丁寧だ。まず、迎えに行くと、それだけで感謝される。例えば、病院、身体の不自由な夫を支える老妻。私は、できるだけ、彼らの役に立つように動く。あるいは、短距離を遠慮がちに頼む、初老の男性、女性、坂道を登ることに自信がなかったようだ。あるいは、泣き叫ぶ、赤子を連れたお母さん、私のタクシーに乗った途端、済まなそうに謝る。謝る必要はまったくない。赤子が泣くのは当たり前、私は、孫も含めて、5人の赤子と接している。鳴き声は、気にならないから、いいですよ、と声をかける。すると、赤子は泣き止むではないか。あるいは、おしゃべり好きのおばあちゃん、いきなり、嫁の悪口や、孫の自慢を始めたりする。気持ちは分かる。私の家も似たり寄ったりだ。
 
そうした人が数百円のチップをくれる。ほとんどが短距離なので、2000円以下の支払い、500円の距離を乗って、1000円札で、お釣りはいらない、という人、わざわざ小銭を出し、数百円、渡してくれる人、金銭的な問題ではない。心のあり方の問題だ。
 
高級❓マンションらしき(多分賃貸だ)エントランスまで呼びつける連中にそうした心はない。
 
私は、実験的にこの仕事をしている。実験の成果は予想以上に大きそうだ。タクシーの乗り方に人格が現れる。怖い仕事だ。