ポールスミスと私

一昨日、若い子たちが、参加する送別宴会にやむを得ず、参加した。どうやら、送別の品はポールスミスのネクタイらしい。じじいの冷水で一席打ちそうになって、やめた。ポールのおっさんが、日本にデビューした時、一番最初にインタビューしたのは、当時、日本繊維新聞記者だった私だ。

おっさんは、私のデジタル腕時計(セイコージウジアーロにデザインを頼んだドライバーズウォッチ)と銀座伊東屋で買ったコードバンの赤い筆箱に異常に興味を示し、「それはどこで買える?」と矢継ぎ早に聞かれて、通訳を通じて、教えたことだけが印象に残っている。デザイナーとしては、ウィリアムモリス系のイギリスクラフト感覚を重視するブルーカラーテイストを品良くアレンジしている印象だった。
ミニクーパーのイギリス、ラッダイド運動のイギリス、オスプレイ(軍用機ではない。でたらめに高価なアウトドアブランドだ)のイギリス、IRAのイギリス、そのあたりの気配を理解しているデザイナーであることは、確かだ。
それなりに売れるファッションの背景には、デザイナーの思考の深さがある。私はポールスミスの山羊革のオールシーズン着られるジャケットを2着持っている。裏地が意味なく紫のスーツも何着か持っている。最初の頃は、日本での展示会に本人がいつも来ていた。