エリックホッファーの単純

エリックホッファーの波止場日記を読み返している。ホッファーは、完全な自由主義者だが、米国系アメリカ人をニグロと普通に表現する。1950年代は、どうやらアメリカは、人種のるつぼの状況が、今より、明らかだったようだ。そうしたなかで、波止場で荷役作業をしながら思索する様子は、とてもエレガントだ。荷役作業という底辺労働に従事しながらも、

ホッファーには、組合活動に裏付けられた一定の自由時間があり、労働者としての権利を実感する意識が強かったようだ。 「文化の発展とは、新しいものを作り出すことではなく、すでに作られたものを美しく維持管理することだ」という言葉があった。とくに欧州系の古い文化を持った移民の労働者住宅を例に挙げている。わざわざ、日本のことは知らないが、という断り書きがある。 かつて2度読んだ時には、読み飛ばしていた個所だ。

ホッファーが日本のことを知っていれば、日本は、さらに好例として挙げられていただろう(現在はたぶん、違うが)。

① 50年代のアメリカは下部構造が安定していた たぶんだが、古き良きアメリカは、単純労働の労働組合が活発に活動しており、今より、リベラルな生活環境だったのだろう。ホッファーは知識人の限界と労働者の知恵の素晴らしさをいつも比較している。単純労働の中での、人間関係を批判的に語りながら、一方でそうした人々の労働や生活に関する知恵を高く評価している。

② 維持管理に対する美意識は卓見だ アンティック趣味ではない維持管理に関する美意識は、とても刺激的だ。何でもない生活に貴族趣味ではない美意識を持つ感性、今は、芸術として祭り上げられてしまった民芸的感性を本来の労働国アメリカは、持っていたのであろう。

最近、仕事関係の知人から、インバウンド関連ビジネスの誘いが多い。私は、インバウンドに反応する広告代理店や、小売店が、間抜けに見えてしようがない。たぶん、世の中には、常に一か所にお金が集まる現象が存在している。バブルの初期の土地や株、行政の施策変更に伴う予算化、あるいは、新しいテクノロジーの開発とその2番、3番煎じ、私もその恩恵にあずかりそうになったことは、数度ある。今は興味がない 。 今の自分自身は、とても満足が行く経済状況にはないが、砂糖に集まる蟻のような(蟻を馬鹿にしているわけではない、メーテルリンクの蟻の生活は愛読書だ)真似をする気にはならない。ホッファーのようなシンプルな経済性を実現する方法はないのか、ずっと考えている。 タクシーの仕事はエリックホッファーの波止場仕事に似ている。

路上、波止場の哲学者