食べるモラル

死んでしまった尊敬する上司は、職場で何か食べることをとても嫌った。とてもいい加減だが、どこかスジが通っている人で、たくさんのことを教えてもらった。

 

独立して、東銀座のカプセルタワー(設計黒川紀章)という変わったマンションに最初の事務所を構えた。大阪万博のとき、黒川紀章が、都市生活のコンセプトとして「カプセル」を提示した。そのコンセプトをそのまま、作ってしまったのが中銀カプセルタワーだった(今もあるが、建替するか、どうかでもめているようだ)。海外からの見学も多く、私の借りた部屋は、建った当時のほぼオリジナル内装だったため、外人の見学者に見せてあげると喜ばれた。円筒形のエントランスにひと部屋ずつ長方形の「カプセル」を埋め込んである。カプセルは、360度広がっており、1つのカプセルが、ひと部屋だ。ドアを開けると当時としては画期的なユニットバスがあり、ドアを隔てて、長方形の奥には、折りたたみベッドが備え付けてある。窓ははめ殺しの円形だ。

問題は雨漏りだった。カプセルとカプセルの隙間は、すべて20センチくらいの隙間があり、それが連なっている。雨漏りの原因は、そこに鳩が入ってしまうことにある。鳩は、当然、糞をする。その糞を取り除く術が、人間にはない。奥行3メートルの20センチの隙間は、手の施しようがない空間だ。鳩の生活によって、コンクリートの屋根面が酸化する。そこから水の侵食が始まる。さらに換気扇は、ユニットバスに付いている小型のもの1つだけ。狭い空間だが、除湿機を置いても、換気はうまくできない。備え付けのロッカーに入れっぱなしになっていた出張用のヴィトンのキーポルは、1ヶ月でカビだらけになった。問題は、雨漏りだ。私の仕事は、パソコンを使った作業は、欠かすことができない。小型だが、性能のいいプリンターも必需品だ。雨漏りは、デジタル機器の点滴(天敵)だ。なんど、管理会社に言っても雨漏りの修繕はできない。パソコンが水に直撃される前に引っ越さざるを得なかった。

のちに調べると、当初のコンセプトは、カプセルが老朽化した場合、カプセルをそのまま抜き、新たなカプセルを入れる、という使い捨ての活用方法だった。ところが、そのカプセルを製造していた工場はすでにない。いまだ、住んでいる人もいるようだが、私は、パソコンを優先して、半年ほどで引っ越した。

 

その後、東銀座のワンルームマンションを経て、人形町に落ち着いた。人形町はいい街だ。甘いものが苦手な私でも食べられる柳家鯛焼き、ボントンの生姜焼き(知らないと思うが絶品だ)それ以外にも古くて美味しいものがたくさんある。人形町は、死んでしまった上司に連れられて、古いうなぎ屋(今はもうない)でうなぎを食べた時から、印象深かった。そのとき、うなぎの松をおごってくれたあと、上司は「三度々々のご飯は、吝いものを食べたらだめだ」とおふくろに厳しく言われた、と話してくれた。

 

上司は、ヴァンヂャケット(今のヴァンではない、あれは、石津さんではなく、倒産時の労働組合が商標を差し押さえて商売している)の流れを組むOグループという企業群で、私が在籍した企画コンサルタント会社をやっていた。Oグループは、当時、とても派手好きで、やたらにパーティーを開いた。

記者上がりの私は、入社から、しばらくして、何かの理由で開かれたパーティーに参加した。会場は都ホテルだ(後に私はバーの常連になる)。パーティーが始まって、私は当然のようにビールを飲みながら、料理をつまんでいた。すると、上司に襟首をいきなり掴まれて、会場の端っこに引張っていかれた。「食べているのは社員のなかで、お前だけだぞ」と脅された。そういえば、誰も食物を口にしていない。記者時代からパーティー会場は慣れている。そんなことを言われたのは始めてだった。とりあえず、飲み食いはせず、終宴の時間を迎えた。すると、来客をすべて、追い出すのだ。酔って、長居をしようとする来客も問答無用、まさに時間が来ると「追い出す」。そして、社員だけが残る。

すると、Oグループの代表は、社員だけを前に軽く話をして、ホテルのウェイターに合図をする。どうしたことか、新たな料理が次々と運び込まれるではないか。

そこから先は、食べようが飲もうが、問題なし、社員だけのパーティーが、遅くまで続く。私以外の社員は、慣れているのか、食べ飲み、さらに上司にも自由に口をきく。

これが、かつてのVANの「文化」なのであろうか。

人前で物を食べるは、セックスを見られているのと同じことだ、とどこかの社会学者か、アーティスト(アルチザン)が、言っていた。

 

それ以来、私は仕事をする場所でものを口にすることはない(タバコは別だが)。