人間がだめになる店

原宿駅におりたのは、何年ぶりだろう。竹下通りに何もなかった頃、ハリウッドランチマーケットが、青山の螺旋階段のビルにあった頃、毎週のように来ていた。

その後、アパレル関連の企画事務所でアルバイトを始め、その会社がやっていたお店の店員をやった。今のギャップがあるあたりに伝説のセントラルアパートという集合住宅があり、一階は、アパレルメーカーのジュンが管理していた。その頃は珍しいフードコートがあり、600円くらいで定食を食べることができた。セントラルアパートの一階のエレベーターの前に「rouge」という5坪くらいのお店があり、私は、店長兼販売員だった。

表参道にデビューする前のクールスが、バイクを連ね、99ホールというヴァンヂャケット本社の地下に劇場があった頃だ。その一階にあったカフェは、99円でエスプレッソが飲め、イタリア大使館の職員が、パジャマでエスプレッソを飲みにきた、という話だ。

今思えば「rouge」には、やたらに芸能人が来ていた。当時の私は、全く興味がなく、テレビで、見て、どっかで見た顔だと思うと、そこそこ有名な歌手だったりした。

仙人のような生活をしている当時の社長は、その店に来ては、私と無駄話をして、客がくると、接客する、というのんびりしたアルバイトだった。無駄話の内容は、デュシャンのことだったり、当時、私が好きだったドイツのヴォイスの話だったり、稲垣足穂のことだったり、生活や商売とは、まったく関係のない話題だった。

当時、行っていたのは、セントラルアパートの一階の明治通り沿いにあったイタリアンレストラン、少し足を伸ばして、「ライズバー」、「カルデサック」(のちにオーナーと知り合う)などなど、カフェバーという業態が、女子供のものではなく、ファッションと文化の匂いを漂わせていた昔だった。

ある夜、お目当ての店が満席で、社長のKさんと一緒に「お前が知っている店があったら、そこでもいいよ」ということになり、以前、一度だけ渋谷に住む友人に連れて行ってもらった、バーにいった。そこは、サラリーマンのふきだまりだった。大声で、サラリーマン(ネクタイの人たち)が騒いでる。

ビールを飲むとKさんがとつぜん「こうゆう店で飲むと人間がだめになるよ」といって席をたった。私は、一瞬、理解できずに、ついていくしかなかった。銀座までタクシーで出て、ソニービルの一階のカーディナルという店に改めて入って、ジンを飲みながら、人間がだめになる、店のことは忘れて、夜中まで話した。

セントラルパークのフードコートの隣には、確か、西武百貨店が経営するレコード屋さんがあり、セントラルパーク(セントラルアパートの吹き抜け部分)は、そこのレコード屋さんが音楽を流していた。私は、昼休み、コーヒーを飲みながら、本を読んでいた。そのとき、流れてきた曲と、本の内容が、見事に調和する。本は稲垣足穂の「一千一秒物語」。かかっていたレコードは、ECMから出ていた「ペンギンカフェオーケストラ」だった。(今は、リーダーの息子さんが、ペンギンカフェの名前で活動を再開しているらしい)。思わずレコード屋さんのヒゲモジャの人に、稲垣足穂とペンギンカフェオーケストラは、とても合う、というとヒゲモジャの人は、「こんなところにも同じ世界感の人がいるんだなあ」といって、それ以来挨拶をしてくれるようになった。

私は、最近、経済的にうまくいっていない(仙人のような生活をしている)Kさんと会うとき、いつも行く店は、「サイゼリア」だ。大きなデキャンターで赤ワインを頼み、二人で3ボトルが、普通だった。軽く、つまみを食べてもお勘定は、3000円でお釣りが来るか、少したりないか、だ。仕事の関係とはいえ、人間がだめになる店に、一時期たくさんいった。ガールズバー(世の中でもっとも無駄な業態)、西麻布のビルの二階の妙に高い店、さらには、女性を目的に大量なお札が飛んでいく店(銀座に多い)、小高い寿司屋、どれも人間がだめになる定義を満たしている。

セントラルアパートにあったジュークボックスのあるレストラン、銀座のカーディナルは、Kさんと二人でいると「サイゼリア」に似てくる。

最近、人付き合いが狭くなって「人間がダメになる店」にいかなくて済むようになったことだけでも意味がある気がする。

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もう今はない原宿セントラルアパート