消費者はバカです

2チャンネルを覗いていたら私が、好きな時計屋さんをだらだらだらだらとああでもない、こうでもない、と批判する記事を見て、極めて不愉快になった。

私も含めた消費者は「馬鹿」である。モノの良し悪しなど分からない。私は、仕事柄、店舗、品揃え、マーケティング、プロモーション、さらには、CI、商品企画などなど、お店を取り巻く「要素」が、どう配分されるべきか、という点では、プロだ。それで30年間ご飯を食べ、家を建て、子供を大学に通わせ、年老いた母親の面倒も見ている。犬を飼い、外車に乗っている。たぶん、2チャンネルの批判者よりは、そのあたりの世の中の仕組みは、分かっている。そうではないと商売ができない。だが、商品知識はない。

「馬鹿な店」も多く存在する。靴のことがわからない靴屋、バッグの知識が全くないバッグ専門店、まずい飲食店(嗜好性の問題はあるが、まずくて客がたくさん入っている店は多い)、洋服は、もっと複雑で、ユニクロ、ギャップの登場以来ビジネスモデルが変わっており(一般小売店とSPAと呼ばれるユニクロ等の思想は明らかに異なる)、価格の安さの意味合いも大きく変わった。

明らかに商品知識が欠けている店舗、販売員も大量に存在する。そうした店が、はやっていないかというと、そうでもなく、人気があったりする。

一方、とてもバランスのとれたプロ好みの店が、時代環境にあわず、閑古鳥が鳴いていたりもする。

 

問題は、情報の密度と信頼性にある。吉本隆明(吉本バナナの父です)は、インターネットの登場によって、意味が氾濫しており、ネットを通じた情報は「意味」でしかない、という。意味としての情報は確かに重要であるが、それは、便宜上の記号にすぎない。根拠のないヘイトスピーチは、その典型である。韓国、中国は、当然、批判するべき点もある。だが、それはヘイトスピートとは次元が違う。ヘイトスピーチは「意味」でしかないのだ。

「価値」を伴わない「意味」が氾濫すると、素人の出たがり屋さんの独断場になる。それに影響を受けて、「価値」を伴わない言葉が排出され、インターネット用語による「シェア」が、なさせる。拡大生産的に「意味」が噴出し、なにがなんだがわからなくなる。

吉本隆明は、晩年の著作の中で(既に視力を失っていたので口述筆記だ)「ひきこもれ」といっている。一定期間、引きこもって、苦悩したり思索することによってのみ、「価値」が創造される。あるいは、同じことを繰り返しながら、一定期間(行為の種類によって長さはことなる)過ごすことによって、そうしていない人とは異なった「価値」を発見することができる。

例えば職人の技術だ。私が実際に触れた庭師は、自然石の裏と表を一瞬に判断する。また、樹木の裏と表も同様に判断して、石や樹木の配置を決定する。その職人は、知名度はないが、50年以上、樹木と石を扱っている。

「意味」の反乱の危険をさらに煽っているのが、インターネットビジネスだ。どことは言わないが、アフリエイトという「意味不明」の言葉で、まったく価値のない情報をねずみ講的に発信する仕組みを作り出したサイトが数多く存在する。著名人(認知度が高ければその人格、技能は不問)のブログで、ある商品が評価されると、その商品の販売数量によって、バックマージンが支払われる。この仕組みは巧妙に構築されており、「足が付かない」危険回避のうえで行われる。

ちなみに勝間某女子は、自らの著作を出版するときに明らかにネットの検索ワードから著書名を決定している。著作の内容は、当然、価値がない。

また、私が一時役員を務めたあるサイトは、医療機関の「クチコミ」を売り物にしていた。表面上は、ネットによる情報の共有を謳っているが、現実的には、ごくわずかな批判マニア、ネットマニアの無知ゆえの空疎な「意味」が氾濫しているにすぎない。

 

一時、マーケティング戦略の主流となった「顧客志向」の弊害であることは明らかだ。私は、宣言する。「私も含めた消費者は無知である」。だからこそ、一定の経験と知識を持った小売店、あるいは、販売員の知識と経験によるコンサルティングが求められているのだ。

ネット上の「シェア」は、ほとんどの場合、知識も経験もない無知な消費者の情報の集積に過ぎない。それによって立つ悪評、高評価もまったく当てにならない。

 

若者よ、ネットを捨てて街に出よ。

 

街に出て、騙されればそれは価値ある経験だ。ネットで騙されたらまったく価値のない詐欺にあったようなものだ。こうゆうことが勝手に言えることもネットの良さではあるのだが・・・・・・

まとめ:コムデギャルソン論争|吉本隆明 埴谷雄高|コムデギャルソン店舗マップ さん

コムデギャルソン論争

(埴谷雄高吉本隆明はアンアンで吉本がギャルソンを着たことで論争を起こした。両方とも好きな作家だ)