ホワイトカラーの限界

ガラス細工のホワイトカラー

私は、ブルーカラー階級の出身だ。親父は、職安から、大手企業の子会社に入り、そこで夜間の大学に行き、さらに労働組合運動に会社側に立って、戦うことで、工場長という中間的地位をつかんだ。ただ、それもいきなり、普通の大学卒業のプロパーに奪われ、副工場長に降格された。親父は、学問的教養はなかったが、それが許せなくて、独立した。その後、ブルーカラーと資本家の中間的地位で、いい時はそれなりに贅沢し、悪くなるといきなり、貧乏になる、という典型的な零細企業の道を歩んだ。なんの保証もない。技術と根性だけでは、通用しない。親父は私をホワイトカラーにしようと努力した。
とりあえず、大学を卒業して、ホワイトカラーの末端に着いたが、すぐに辞めた。それから、大企業とは異なった、ホワイトカラーとなった。ジャーナリストだ。そして、中小企業診断士というホワイトカラー憧れの資格にあっさり合格、コンサルタントとして、35年くらい成功と失敗の連続だった。しかし、それなりの家を買い、息子と娘は、高校から、それなりの大学附属に入り、無事卒業、息子は、半分、国営企業に就職、娘は、メーカー系一流企業の婿と結婚、まあ、ホワイトカラー的人生を送っている。
60歳を超えて、自分の人生を見直すことになった。コンサルタントという仕事に自信が持てなくなった。足の引っ張り合いと、時代環境の変化に対応する能力に限界を感じた。
 
そして、ブルーカラーに挑戦した。タクシードライバーである。ホワイトカラーをしばしば乗せる。公務員、大企業の管理職、あるいは、中堅社員、さらに大手マスコミ、話を運転席で聞いていると、一部の公務員を除いて、ガラスの器に乗っている。会社内の力関係、資本家の動向、政府の方針に翻弄される。会社の方針を決めるのは、彼らではなく、最終的には株主だ。あっさり、切り捨てられたり、隅に追いやられたりする。不確定要素(ガラス)の上で成功を競い合っている。
 
タクシードライバーは、違う。社会環境の影響は受けるが、基本的には、稼ぎは、自分の努力次第だ。どこにいってもやれる。会社を変わるのは簡単だ。ドライバーはどこも不足している。一定の経験さえあれば、場所にもとらわれず、勤務形態にもとらわれず、仕事することができる。ブルーカラーの時代が来たようだ。鳶職、建設技術者、ナース、その他、あらゆるブルーカラーの方が、人生の自由度は高い。
 
会社の金で、銀座で飲む時代は完全に終わっている。未だにやっているのは、バカである。