古い服の話

近所のコンビニにビールを買いに行った。確か、土曜日の夜、9時すぎだった。飲んでいるときは、本当に限度がなく、その日もビールのロング缶4本(2ℓ)を昼間のうちにのみ、夜も更に飲もうと、コンビニを目指したのだ。

まだ、寒い時期だったので、20年以上前に買ったウールのジャンパーを羽織っていた。20年前当時は、ファッション系の仕事をしていたので、たぶん、メーカーのファミリーセールかなんかで、何気なく買ったブルゾンだった。ブランドは、今はなき「エイボンハウス」だった。気にもとめていなかったが、適度にナイロンが混じったウールは、極めて軽く、暖かく、その冬は、定番的に羽織っていた。同じブランドでまた、復活しているが偽物くさい。

コンビニの深夜バイトの茶髪のお兄ちゃんが、レジで突然話しかけてきた。「そのブルゾン、どこのブランドですか?かっこいいですね」。驚くばかりか、ちょっと「えっ」という感じだった。
「すごい昔の、ものだよ」(もしかしたら君が生まれる前かもしてない)と答えた。

家に帰って、改めて、そのブルゾンを見ると、確かに凝っている。ボタンがアメリカのファイアマンコートを模した、金属製の金具なのである。それも極めて軽く丈夫な素材だ。良く考えると布に金属を縫い付けるだけで、大変だ。それが20年以上、きちんと布地についている。さらに機能的にも全く問題なく、金具のスプリングが動き、かちゃっと、止まるようになっている。

素材もどう見てもウールだが、とても軽い。絶妙にナイロンが入っているため、ウールの風合いを損なわず、軽く、さらに丈夫だ。毛玉にもならない。若い彼が、昔のブランドの良さを改めて気づかせてくれた。

そういえば、ユニクロにもギャップにも、さらにバーバリーにも、この手の服は売っていない。こんな、めんどくさい服、誰も作ろうとしていない。たぶん、値段も高かったと思う。定価は数万円したと記憶している。「エイボンハウス」というブランドは、社長が確か、ヴァンヂャケットの石津さんと肩を並べる服飾評論家だった。少し前にBSで、やっていた「炎のランナー」というイギリス映画を全面的にスポンサードし、販売促進に使っていた。私はヴァンヂャケットと関連する企画・コンサルティング会社にいたため、そのブランドとも親しかったのだ。

私の服は古いものばかりである。山本耀司さんが、デザインしている頃のワイズメン、川久保怜さんが、デザインしていたコムデギャルソンオム、さらに今もあるかどうか、分からないが、海外の軍服のレプリカばかり作っていた「shot」、さらに、惜しまれて亡くなったダイアナ妃の靴のデザインをしていたトキオクマガイのメンズ、なんだか、偉そうにしているユナイテッドアローズ」の役員である「K」が、その当時、原宿のビームスの販売員をやっていた。私の当時のボスは、彼を路上でヘッドロックして、因縁をつけていた(鈴屋の後輩だったようだ)。

今年に入って出席した息子の結婚式では、三宅一生が、有名シャツメーカー(今は多分ないハミルトン)と組んで、作った30年前のスタンドカラーシャツを着た。とても細い綿で、ダブルカフス、少しだけ、デザインされているが、とてもシンプルなドレスシャツである。これも、今の日本では、どこにもない、とおもうほど、繊細で贅沢だ。トキオさんの革のジャケットも結構持っている。なぜか、羊革しか、使わなかった。もともと、靴のデザイナーだっただけに、革の扱いは極めて繊細で、今、見ても充分、ファッショナブルだ。それより、国内のデザイナーが、あんなに凝った服作りを放棄してしまっている。

国営企業だった大手通信会社に務める息子に聞いたが、appleのジョブスは、ニューバランスとリーバイス501、三宅一生タートルネックセーターしか、着なかったそうだ。

服は、お酒と同じくらいおもしろい。服を買うことも、酒を飲むことも控えているが、どちらにも強い思い入れがある。

服もお酒も時計も使い捨てではない。健康に良く、正確で使いやすければいいというものでもない。修理に出しているルクルトのキャリバー825が治るまで、金無垢のミネルヴァC20を使っている。

思えば、たくさんお金を使って、その時代の「美しさ」を楽しんできた。今は、貧乏だが、悪くない消費と経験だった。

File