高校時代(劣等生)

中学の時、仲のいい連中がたくさんいた。私は、柔道部部長だった。陸上部の部長、サッカー部の部長、軽音楽部の連中、さらには、文学愛好会の連中、運動と学力が、それなりにある仲間が、徒党を組んでいた。午後からいなくなっても、先生も特に追求しなかった。みんなそれなりに成績がいい。自由気ままだが、それなりにきちんとしていた。私は、2年生の時、県大会ギリギリまで進んでおり(決勝戦で、鎖骨を折ってしまい出場はならなかった)それも中学校内の評価を高める要因だった。

いよいよ、高校受験となり、私は、学力がたいして高くない連中と同じ学校を受けた。当時、我が家は、貧しかったようで、交通費がかからない県立高校を選ぶことに喜んでいた。

ところが、親しかった部長たちは、偏差値の高い高校へ行き、偏差値の低い友人は、私と同じ高校を受験したが、誰も受からなかった。

そして、孤独な高校生活が始まった。友達がいない。中堅の高校であったため、生活態度には、厳しかった。とくに私は数学担当件生活指導担当のバカ教師に嫌われた。私は教師より、古典の知識は、高かった。現代国語も同様、数学のバカ教師は古典のバカ教師と恋仲にあり、私が古典の授業で、彼女の誤りを正して以来、双方から、いじめられた。

高校に行かなくなった。タバコ、酒、喧嘩が一年のうちに相次いでバレ、とうとう、無機停学になった。朝、起きると、学校に行くふりをして、図書館に行く。図書館では、あたり構わず、本ばかり読んでいた。

3年の時、私は、大学受権をするつもりだったので、それなりに勉強した。すると、当時の担任の物理の先生、英語の先生、さらに校長が、なぜか応援してくれた。

私に退学を迫った数学教師は、見て見ぬふり(私は、数学は苦手ではない)だった。

1年で学校を辞めてしまった不良のセンジが、バイクで学校を訪れた時、厄介者を追い出すように対応したのは、私を嫌っていた数学の堀江だった。それも腹がたった。ただ、彼は懐かしくなって、あるいは私に会うために、高校にバイクで乗り込んだのだ。

私は、原書で源氏を読んでいた。中原中也の詩は、ほぼ暗記していた。

 

ユアーン ユヨーン ユアユヨアン

 

現代国語教師も古典教師も意味すらわからない。あめゆとてきてけんじゃ、これも同様だ。私の現在の数字コンプレックスは、高校時代の堀江のせいだ。

 

親父のかたみ(少し危ない)