禁断の時計

40年位前、当時、好きだった女性が、特殊な腕時計を欲しがっていた。セイコーが作っていた「盲人向け」のダイヤルに直接触れる触指腕時計だ。ガラス面が上側に跳ね上がって開き、針とインデックスに指で触れて時間を知ることができる。

デザインは、ともかくシンプルで余計なものは、何もついていない。内蔵する機械は、高級機ではないが、安定した機能を持つ、もっとも基本的な(汎用性が高く、品質が、量産によって、安定している)ムーブメントだ。

デザインとコンセプトに惹かれたものの、健常者が、あえてこの時計をすることは、「イヤミ」な気もして、買うのを控えていた。

40年ぶりにオークションで発見した。誰も興味がないようで、価格もアンティックとしては、手ごろだ。すでにジジイになったので、手に入れることを自分に許した。マニアではないが、いくつか持っているスイス製のアンティックとは、異なった吸引力がある。当時のセイコーが、知恵を絞って「ユニバーサルデザイン」に取り組んでいた良心も美しい。

この時計のことを話した女性の行方は分からない。幸せになってくれていればいいのだが、私の心には、素敵な印象ばかりが残っている。亡くなった鈴木正順がテントで公開していたツィゴイネルワイゼンを一緒に何回も見に行った。

 

今は盲人向けの腕時計は、デジタル化し、音声案内が主流なようだ。したがって、この手の風防ガラスを開けて、触診し、時間を確かめる時計は作られていない。