役にたつことの意味と誇り

役にたつ意味

タクシーのドライバーをやっていて、人の役に立った、という実感を持てることが、ニ乗務に一回くらいある。某病院に無線で呼ばれた。それも救急の玄関に迎えにきて欲しい、という依頼、そうゆうときに限って、無線会社のナビがコールドする。国立病院機構の名称は分かっていたので、自らのナビ(Yahooナビ)を使って、なんとかたどり着いた。時間には大幅に遅れた。
行ってみると老人男性2人、ケガをしたらしく血まみれなのは、どうやら、弟さんのようだ。頭には血止めの包帯を巻いている。お兄さんは、弟さんをどうやら、持て余しているようだ。弟さんのズボンは血まみれ、乾いているようだったので、気にせず乗せた。
私は、時間に遅れたことの申し訳なさもあって、弟さんがタクシーに乗る時も、病院の玄関直前まで、バックで乗り入れ、脇を支えて、老弟をタクシーに乗せた。それなりの距離を走り、自宅に着いた。お兄さんは、ケガした弟に対して、身内だからこその邪険な態度だった。私は、少し、嫌だったが、血まみれの弟さんの脇を支えて、お兄さんと一緒に自宅の玄関まで、お連れした。
料金は2200円だったが、お兄さんは3000円を渡した。200円、ありませんでしょうか?と聞くと、ないという。私の方も夜間だったので、小銭を切らしていた。すると、お兄さんは、、3000円でいいよ、という。手伝ってもらった方が価値があった、と言ってくれた。たかが800円だが、役に立ったことの代償と思うと、少し誇り高い。
多分、それなりに役に立ったのだろう。私は意識していなかったが、困っている時、赤の他人が、親身に手伝ってくれると、人は純粋にありがたがってくれる。
タクシードライバーには、そうゆう役割もあるのだ。神が与えた役割なのだろう。