ハラスメント


セクハラ、パワハラモラハラ、ハラスメントの意味は、人が嫌がることをすることのようだ。ともすると、なんでもかんでももハラスメントになってしまう。女性を食事に誘うこともダメらしい。

セクハラという言葉が無かった時代、親しい女性、あるいは、親しくなりたい女性を食事に誘わないことのほうが、馬鹿者扱いされた。一度、断られたくらいで、諦めるな、そう遊び人の先輩から教えられた。女性を食事に誘うためには、それなりの努力が、必要である。その女性の好みを把握して、さらに負担にならない程度の経済的思いやりで店を選ぶ。

いきなり、一流レストランで大枚をはたいてはいけない。気楽に食べられて、女性の好みに合い、さらに確実に美味しいものを選ぶためには、努力と経験が必要だ。その経験を積むことを私は、昔の上司や先輩から叩き込まれた。

結果的に安くて美味しい店のストックは溜まっていった。

パワハラも同様、コンサル会社時代の上司は、本当に嫌なやつだった。気に触る、人の弱みにつけ込むようなことを日常的にいう。ただし、その人物は、努力家で勤勉、さらに自分の学歴にコンプレックスを持っており、どこか、弱い部分を感じさせた。私が、そのコンサルファームを辞める時、真剣に止めてくれたのは、その人物だった。自分が理由で辞めるのではないか、と考えたようである。まったく辞める理由は、異なっていた。昔からの知り合いに、その関係の会社に入ることを勧められたからだ。条件も管理職待遇だった。

シンプルにそのことを伝えると、彼はあっさり分かってくれた。私は、そのファームをやめてから、新たなマーケティング会社で結構活躍していた。その噂を聞きつけて、彼は、私が、管理職を務める会社を訪ねてきた。そんな行為に及んだのは、彼だけだ。明らかに純粋な人だった。

初めて、ニューヨークに行った時、上司は、男だけで晩飯を食うのは嫌だ、と私に告げた。5番街あたりをうろうろすれば、日本人の女性がたくさんいる。その女性を食事に誘え、という命令、である。私は、冗談だろう、と考え、女性を食事に誘わなかった。それ以来、ニューヨークにいる間の1週間、上司は、口を聞いてくれなかった。モラルの次元が異なっていた。

 

カトリーヌドヌーブは、セクハラを否定するような発言をしている。男性に誘われる権利を女性は持っている、という論理だ。

 

パワハラモラハラも受けている時はともかく、今になっては、私の成長と弾力性に役立っている。本当は、みんな、いい人なのだ。

一人ひとりと話せばみんないい人なのに、砂埃、すなぼこり、木枯らしの駐車場、、、、