雨が降りそうだから傘の話

丸善オリジナル 傘コレクション

 

原則として、傘は持たない。少々の雨なら、レインコートの襟を立てるか、それでも、しのげない雨の場合、防水のビニールのフード付きパーカーを着る。さらにラルフローレンのレインハットをかぶる。それで不便はないが、傘には、こだわりがある。

傘を持たない理由は、すぐなくす、という単純な理由だ。今までの傘歴のなかで、もっとも気に入っていた傘は、初期の無印良品石岡瑛子さんが、ディレクターをやっている頃)から出ていたパラシュートクロスの折りたたみ傘だった。軽くて丈夫、さらに光沢があるパラシュートクロスは、実用性とファッション性を同時に感じさせ、とても気に入っていた。1年くらい使っていたが、なくし、その後、無印に問い合わせても、作っていない、とすげなく断られた。

傘なし生活をしばらく続け、仕事の関係から「I」という傘問屋と知り合った。この会社の歴史は古く、元を正せば、江戸時代まで遡るらしい。浅草橋界隈の手作り傘職人と革細工職人を束ねた「問屋」さんで、常務だった3代目は、小物雑貨には、極めて強いこだわりを持っており、当時、いいものを探していた「バーニーズ」や「シップス」に小物雑貨を
納品していた。なかでも定番の「馬蹄」(馬蹄形の小銭入れで、革の縫製形状だけで、開け閉めができる)は、素晴らしく、いくつか、売ってもらった。

さらに私が若い時、勤めていた会社がイギリスからサンプルとして買ってきた「タナクロール」のバッグのメンテナンス(一回革の部品に分解して、縫製しなおす)もやってもらった。

その問屋さんで、とあるファッション雑誌と組んで、オリジナルの傘を作ることになった。限定販売の雑誌上通販で、その企画を知人がやった。私もそれに便乗して、オリジナルのさらにオリジナルの傘を極めて安価で作ってもらうことができた。

素材は、大手化学繊維メーカーが、工業用途で開発した防水、撥水化学繊維。8本骨のベーシックな傘だが、軸は樫材の、手による削り出しで、さらにハンドルは、ゴツゴツとした触り心地が気持ちいい無垢桐の削り出し曲げ細工である。傘の先端についている「石づき」は、当然、水牛の角、それも、知り合いのわがまま、100本に一本くらいしか、とれない「白い水牛の角」だ。撥水性に優れており、どんなに濡れても、ひと振りすると水をはじいてしまう。

3代目に言わせると、つい最近までお金持ちの紳士は、ハンドルにこだわり、傘がボロボロになっても、ハンドルだけ活かして、あるいは軸だけ活かして、直して使ったという。今は、分からないが日本橋丸善は、この会社の傘を取り扱っていた。その頃は、丸善が、昔ながらの風合いを維持していた頃で、「タナクロール」(40万円くらい)のバッグも、並行輸入で扱っていた。

余談だが、そもそも福沢諭吉が創立に関わった洋書の「丸善」は、もともと、「バーバリー」コートの輸入代理店で、私が持っている「バーバリー」のステンカラーコートのラベルは、バーバリーのロゴの下に「丸善」の文字が明記されている。

その傘は、なくしていない。一時期日常的に使っていたが、3度ほど、どこかに行方不明(置き忘れ)になったが、無事、私の手元に帰ってきた。今は、私のクローゼットのなかに大事にしまわれている。その問屋さんも、三代目も、いま、営業をしているかどうか分からない。ネットの検索に引っかからないところを見ると、廃業してしまったようだ(本社所在地は、貸ビルになっている)。イギリス紳士、昔の日本紳士にとっては、傘や小物雑貨にこだわることがステータスだったようで、3代目は、その手のウンチクには、やたらに詳しかった。私の好みではないが、極めて細い傘をステッキ替わりに使うこともイギリス風だったようだ。

結構、高い飲食店に入っても、きちんとした傘を大切に使っている人が少ないことが類推される。奥まった傘立てには500円傘か、東南アジア製と思われる存在感の薄い傘ばかりが並んでいる。一度、その手の店舗で傘を預けようとしたら、預かってくれなかった。その傘は、横のおっさんのスーツよりたぶん、高いのに。

ものが安くなったのは、原則としていいことだ。若いお金がない層もその気になれば、ギャップやH&Mで、流行のファッションを安価で手に入れることができる。ただ、買い物の楽しさは、有名ブランドを無理して買うことではなく、商品知識が、膨大な販売担当のウンチクを聞きながら、買うことのような気がする。年収数千万円と推測される日本で有数の弁護士事務所のパートナー弁護士が、ロードサイド専門店の6万円(その店では最も高いらしい)のスーツを着ている。自動車はベンツとBMWのZ4にも関わらず。

一度、リーバイスの池袋直営店に入って、「本藍」のジーンズ(リーバイスは、たまに2万円前後の天然藍で染めたジーンズを出していた)はない?と聞くと、これは、インディゴです、と言葉が通じなくて困った。それ以上、話す気持ちが失せた。今は、機械式ブームで時計店では、あまりないが、イタリアのデザイナーがデザインした時計を買う気になって、「これは自動巻き?」と聞くと、延々とデザイナーの説明を始めて困った。

私は、単なる頑固ジジイになってしまったのだろうか。北千住にあったべっ甲職人のおじいさんに頼んで作ったメガネフレームを眺めながら、思うのだ(そのメガネにはレンズが入っていない。普通のメガネ屋ではべっ甲フレームにレンズを入れられないのだ)。